黒岩徹也ってこんな人

こんにちは、このブログを読んでいただき、ありがとうございます。

 
 
 
 
 
ブログ自体は2014年から存在しているのですが、今までぶらぶらと何も考えず、目的もなく生きてきて、いつの間にか2016年の4月で新社会人となりました。
 
 
 
 
 
このままではいかんと思い、2016年4月から徹底的に自分と対話し、現時点で自分が心から実現したいことを考え出しました。
 
 
 
 
 
 
それを実現するための手段の1つとして、また、実現するまでの記録の意味も込めて、このブログを継続していきたいと思います。
 
 
 
 
 
 
過去のエントリを読んでいると、自分でも恥ずかしくなるほどバカなことばかり書いていますが、これも、以前の自分と今の自分とをつなぐ証しとして残しておこうかと思います。
 
 
 
 
 
さて、自己紹介です。
 
 
 
 
 
名前は黒岩 徹也(くろいわてつや)です。
1992年6月12日生まれの大阪府民、生まれも育ちも大阪です。
 
 
 
 
 
 
小学校の頃は、どこにでもいるような少し太ったガキンチョで、近所の友達と遊戯王カードや、ゲームばかりしてました。
 
 
 
 
 
 
中学校の頃は野球一筋で、今までで一番純粋な気持ちで生き、大阪で優勝するために毎日血の滲むような努力をしてました。
 
 
 
中学時代は、今を除いて今までで一番頑張っていた時期でした。仲間にも恵まれ、結果的に3年の夏、大阪府下の全中学校(300校以上)が参加する野球大会で9連勝で優勝し、一番強いチームになりました。
 
 
 
今だからわかることですが、僕はこの中学の時期に「仲間と共に大きな目標に向かって本気で走ることのスゴさ」を無意識ながら学んでいました。
まぁそのころはまだ、正しい努力や、考えて走る大切さなどは全く分かってなかったですが。。。
 
 
 
 
 
 
 
 
高校時代は、自身の無力さを一番感じた期間でした。
中学時代と同じく、3年間を野球に注ぎましたが、甲子園という場所を心のどこかで諦めながら野球を続けていました。
まさに普通の男子高校生でした。
 
 
 
 
 
 
 
 
 
大学時代は、大きく3つの時期に区分することができます。
第1期  入学〜2回生の9月( 1年半 )
第2期  2回生の9月〜3回生修了後1年間の休学( 2年半 )
第3期  4回生の始め〜卒業 ( 1年 )
 
 
 
 
 
第1期 入学早々ボウリングに目覚め、2回生の半ばに上海の復旦大学へ留学に行くまで、週に6日のペースでほぼ毎日ボウリングで遊んでいました。
 
 
 
 
 
 
 
第2期では中国上海の復旦大学に1年間留学し、その後日本で3回生を修了した後、1年間休学し、再びディズニーグッズを製造・輸出・販売する上海の中国企業にてインターンシップをして過ごしました。
 
 
 
 
 
 
 
第3期では、上海から帰国し大学4回生に戻りました。モノづくりに携わった身として、今度はモノが売れる現場を見てみたいと思い、4回生になって早々に、通信回線の訪問販売をする学生ベンチャーに入りました。
 
 
そこで周りのメンバーの仕事に打ち込む姿を見て、人が本気になればこんなにも頑張ることができるのかと驚愕しました。しかし、哀しいかな、当時の僕は心が弱く、彼らのような本気を出すことが出来ず、ただ訪問販売という流通形態のもつプレッシャーに負け、自分の小ささを痛感し、半年経たずにその仕事を辞めてしまいました。
 
 
 
 
当時2015年のエントリを読み返してみると、この組織の人たちに刺激を受け、ブログの中の言葉では大層かっこいいことを言っていました。しかし、本当の意味での理解が出来ていなかったなと感じます。
 
 
 
 
そのまま、深い自己対話もせずに就職活動に臨み、もっともそうな言葉を並べて、サッと内定を取り、安易に自身の今後の身の振り方を決めてしまいました。
 
 
 
 
自信と活力を失った僕は、卒業までの残りの半年をダラダラと廃人のように過ごしました。
 
 
 
 
 
 
 
そんな僕ですが、2016年5月30日 現在では、まるで水を得た魚のように、毎日活き活きと過ごしています。
新社会人になり2ヶ月程経ちましたが、毎日が楽しく、日々成長を実感しています
 
 
 
 
 
 
そのキッカケは何だったのか、それについては後日にまとめることとします。
 
 
 
 
人生は続く
 
 
黒岩徹也